「忘れられた連絡線」
四国へ渡る国鉄連絡船といえば瀬戸大橋開業とともに1991年に廃止になった宇高連絡船(岡山県玉野市宇野駅〜香川県高松市高松駅)が余りにも有名であるが、実は目立たない存在ではあったが松山にも国鉄連絡船航路があった。ここ堀江駅から徒歩5分の堀江港から広島県呉市の仁方港(にかたこう)とを結ぶ仁堀連絡船(にほりれんらくせん)である。
宇高航路の余剰船で運航されていたがために1日に2〜3便と数も少なく、しかも堀江駅着の列車とも接続が良くなかった。また同じ堀江港発着の呉・松山フェリー(呉市阿賀港まで)にも押された形で1982年に廃止されたものである。時は流れ、勝者となった呉・松山フェリーも西瀬戸自動車道(しまなみ海道)の開通の影響を受け、数年前に航路廃止となっている。
今では松山市郊外のひと駅となっているが、まさに四国の交通体系の変遷の歴史を物語る駅と港であるといえよう。
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「番札所予讃線箕浦駅と同様に貨物車を転用した駅舎である。」
番札所予讃線箕浦駅と同様に貨物車を転用した駅舎である。
「松山市近郊の海岸の住宅地の中にある」
松山市近郊の海岸の住宅地の中にある
「駅から歩いてすぐに仁堀連絡船の発着していた堀江港がある」
駅から歩いてすぐに仁堀連絡船の発着していた堀江港がある
「同じ堀江港で連絡船との競合航路として運行していた呉・松山フェリーの乗船口跡」
同じ堀江港で連絡船との競合航路として運行していた呉・松山フェリーの乗船口跡
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