「野球踏切り」 四国の駅と車窓の88箇所も、すでに約3分の2を終え、残すところはこの高徳線と徳島線、牟岐線とローカルの鳴門線・阿佐東線のみである。中でも高徳線は予讃線、土讃線と並び四国の県庁所在地を結ぶ重要路線である。全線未電化ながら高松と徳島を結ぶ「うずしお」は日本の未電化路線で一番本数の多い特急列車である。
昭和町駅は高徳線の起点である高松駅の次駅である。国鉄最後の開業駅であり、開業後10日でJR四国の駅となった。ホームだけの何の変哲もない棒線駅であるが、この駅のすぐ南には「野球踏切」という変な名前の踏切がある。
四国といえば昔からの野球王国であるが、当地の名門高松商業高校は甲子園大会の春の選抜第1回大会と第32回大会、夏の第11回大会と13回大会の優勝校である。中でも1925年には後に巨人軍に進む水原茂を擁して史上初の春夏連覇を成し遂げた。その頃の高松商業の校舎は昭和町、グラウンドは西宝町にあり、野球部の選手達は毎日この踏切を横断して練習に向かっていたのである。
名前の由来を知れば、これもなんのヒネリもない話であるが、当時も今も変わらぬ西日を受けながら、踏切をグラウンドへと走る若き水原茂の残影を追って、大昔の野球少年達にも若かりし頃への想いを馳せてもらえればと思う。
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「駅自体は比較的新設であり、高徳線では高松駅の次の市内の住宅地にあるホームだけの駅である。」
駅自体は比較的新設であり、高徳線では高松駅の次の市内の住宅地にあるホームだけの駅である。
「ホーム南端より見える野球踏み切り」
ホーム南端より見える野球踏み切り
「昭和っぽさが漂う、街中の踏切である。」
昭和っぽさが漂う、街中の踏切である。
「踏み切り横の説明板。」
踏み切り横の説明板。
「正式名称も野球踏切である。」
正式名称も野球踏切である。
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